光、とは一体なんなのか?

私たちが普通にいつでも見ている光。
可視光を目で見て、光より伝わる熱を体で感じる。
これはなんなのでしょうか?


私たち人類にとって一番身近でそしてお世話になっているのは
まず太陽から注がれる光です。
たとえこの地上に何の文明も無くても、はるか昔からそれは注がれ続けています。
夜には月の光、太陽の光を月が鏡となって映し照らす光です。
あとは星々の光、つまり幾億万の彼方から来る恒星の光です。
次に火、火の明かり。人類最初の発明と言われているのはこの火の発見です。
次に電気(雷)、電気は現代文明のまさに光です。

光というものがどういう性質なのかは私もまだよくわかりません。
光子という粒子であり、また波状でもあると言われていますがよくわかりません。
ただ上記のことを考えると
おそらく光というものは力(エネルギー)と呼ばれる類のものだと思います。
光は輝きであり、熱でもあります。
この両方の性質を持ったものが光です。
(この世には熱を発しない光というものもあるそうですが、いまだそれはよくわかっていないそうです)

太陽は熱エネルギーの塊でそこから熱を発すると同時に光を発します。
夜空にある星たちもまた太陽と同じ恒星で、仕組みは同じでしょう。
また私たちが使っている電気(電磁波、電磁気力)も光です。
光は波長によってさまざまな力の形を取りますがそれはエネルギーです。
人の脳は微弱な電気信号のやりとりで思考を行っています。
体を動かす神経も脳よりの電気信号で筋肉を動かしています。
光とはエネルギーです。

また太陽は燃えています。太陽は燃える火の玉です。
熱核融合反応によりつねに熱と光を発しています。
火とは熱と光を発する現象です。
分子が分解する際にその内なるエネルギーが開放され放射されることで光と熱になる。
火というものも光と基本的に同じもの、力(エネルギー)だと思います。

ではエネルギーとはなんなのでしょうか?
エネルギーとは動かす力です。
この力というものは実体を持ちません。
少なくとも私たち人類の視点からはそれが実体を持つものとは認識できません。
食事を取ることでエネルギーを補充し、それを使用して活動するのが人間です。
物質内にあるエネルギーを、その物質を分解し取り出し吸収し使用する。これが人間です。
力(エネルギー)とは物質内に内在する、よくわからない何かです。

この実体を持たない、だが存在しすべてに影響する力。
もしこれが無ければそもそも宇宙は発生しませんでした。
すべての物質内(素粒子内)にはこの力(エネルギー)があります。
このエネルギーとは熱量です。
熱、といものも本当によくわからない難しい現象だと思います。
ですがこの熱を発生させて活動しているのも、人間です。
で、熱と同時に発生するものが光です。
力(エネルギー)とは、熱であり光です。

この宇宙に熱が無ければすべては凍った(静止)世界だったろう思います。
そもそも熱が無ければ宇宙は発生しませんでした。
熱、そして光、そしてそれは力。
これがこの世界を作ったある一つの要因なのは間違いないと思います。






すべての物質内には力、つまり光、つまり熱であり火が存在していると言われています。
これを古代の哲学では「霊」と名付けました。
霊と言うと日本人では幽霊などを思い浮かべてしまいますが
霊というのは正確にはこの物質内に内在する力を指します。
この霊や魂と呼ばれるものは、人間内に内在するこの無形の光・熱・火を表現したものです。
(面白いですね、人間の脳が電気で信号を出しているなど知らない古代人が
なぜエネルギー(光=電気)を内在する霊と断言できたのか、とても面白いです)

おそらくですが、私たちが普段目にしている光というものは
光というものの一部分、一側面、つまり表面的なものだと思います。
その本質をおそらく私たちはわかっていません。
可視光で見えるものが私たちの認識している光ですが
この可視光外に赤外線や紫外線や電波があり
もし、それらを視認することができる目を私たち人類が持ったとしたなら
世界の色はまったく違うように見えることになるでしょう。
電気という力も今現在わたしたちはとても便利に使用してはいますが
おそらくこの電気というものが「何なのか?」ということはわかっていないと思います。
わからないものをとりあえず便利だから使っているというところです。
電気というものはすべて同一のものと言われています。
私の家の電気も、地球の反対側のブラジルのサッカー場で使われている電気も
台風の真ん中でゴロゴロ鳴っている雷も、別々の電気ではなく、同一の電気です。
電気というものは宇宙中のすべてがひとつの電気だと言われています。
すべて繋がった力(エネルギー)ということです。
光、熱、それらと同じ電磁気力、この力(エネルギー)というものは
ひとつに繋がった同一のものであり、それは
哲学の世界では霊と呼ばれ、そして一般では心と呼ばれるものです。

人の内に内在する光を、心と呼びます。
この心という光(エネルギー)は人を動かす力です。
そしてそれはよくわからないものです。
ですがその心という力は人を動かします。
心という力を人は愛と呼びます。
人の心の光、それが愛です。

愛という日本語は新しい言葉で、英語のLOVEの和訳です。
日本では古来からこの愛を、「幸」と呼んでいました。

愛とは幸せと同義だということです。
幸せは愛であり、愛は心であり、心は光であり、光は熱であり、熱は力であり
力とはこの世界を構成する根源法則のよくわからない一側面です。
すべての素粒子内に内在するこのエネルギーは
質料と対称のものであり、かつ質料と離れられないものです。
質料を導く光とは、そういう意味だと理解しています。


最近見た映画でとても感動したシーンがあり、それは
戦争下でゴミ同然に扱われて生きていた少女が
娘を戦争で失った男に拾われ育てられます。
結局その娘は戦争で死んでしまうのですが
その死んだ瞬間に、養父のもとに光となって現れて
「お父さんありがとう。あなたは私の光でした」と言って消えていくシーンです。
とても好きなシーンでした。その父親にとってはその娘こそ光だったのです。

愛するということは、光であるということです。
光は波、振るえ伝わる心です。
それは目に見えなくても伝わる愛という不可視の光です。
迷い傷付き道を見失っても、その灯火は人を導きます。
その灯火を信じたいと思わずにはいられません。

その人の人生で、たった一つの光
それに気付けただけでもそれは幸せです
愛するからこそ苦しむこともありますが
だからといってそれに出会わなければよかったなどとは誰も思いません
過ちも、後悔も、自己嫌悪すらもどうでもよくなるほど
その愛はたしかにそこにあるのです
その光はたしかにそこにあるのです
目で見ない方がより鮮明に見えることもあります
心が疑心に煽られ、まるで平静を保てないとき
それは心ではなく、感情が揺れているだけです
感情がまるで水面を揺らすように、心を歪めて映してしまいます
でも心は水面に映ったものではなく、空に輝き揺らがない光です
水面から空に目を移せば、心はそこに変わらずあります

今日は満月だそうです
たとえ雲がかかっても、雨が降っても、嵐になっても
空の上に満月があることは決して変わりません
たとえ見えなくてもそこにそれはあります
変わらずに、そこにいます

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