てんからっ第3話7P~8P

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3話終了です。
個人的に好きな女神のキクリヒメが登場しましたが
これからもいたって平坦に漫画は進んでいきます。
先を考えずに描いているので今後どうなるか私もわかりません;

古代日本のように女性至上主義な天界で気楽に人生を謳歌する
元気な女神たちが多分まだまだ出てきます。
逆にてんからっ地上編では男性優位な風土に押し込められる女たち
が出てきたり出てこなかったりすることだろうと思います。



最近話題のマララさんという女性解放運動をしているパキスタンの方がいます。
宗教的理由や閉鎖的な村落の風習、男性優位を守りたいというためだけに
女性から自由を奪い、バカのままにして押し込めようというのはいまだに続いています。
これは日本でも当然まだ残っているものです。
これの本質をおそらく多くの方が気付いていません。
女性をバカのままにしたい、自分の下の置きたいという男性の心理は弱さと無知ゆえのものであり
現実は変えられない、受け入れてやり過ごす、という思考をしがちな女性の弱さと無知ゆえのものです。
女性が幸せになる→満たされた分、子供にもそれは注がれる→子供も満たされ自由になる→その子供がまた親になる→エンドレス。
社会平和を考えればこれほど効率的なことはありません。
本当の幸せは本当の幸せで連鎖します、誰か一人の幸せにするということは世界を平和にすることに素直に直結することです。
私は本当は男性至上主義者の女性差別主義者です。
ただ効率性を考えれば男は女性に対して最大限の愛をもって接することが人類において最大に効率的で
生産的なことだと思っているのでそうすべきだろうと思っています。
ザックリと書いていてその他に問題が無いというわけではないですが、大きく間違ってもいないと思います。
最近は男性が優しくなったそうですが、そういうことではなく
上辺の愛ではなく「本物の愛を注ぐ」ということが上記のエンドレスを生むということです。

多くの人が「なんのために生まれたのか、なんのために生きるのか」という問いに答えられません。
探すとまるで無間地獄のような泥沼にはまったり、生活の中で忙殺されたりしてしまいます。
わからないことは考えない、という人もいるでしょう。
生きる理由を知る、この理由を確信することが人が一番幸せを感じることができることです。
人の脳は他の動物の脳と違い「理由」を欲するという機能を持っています。
ちゃんとした理由があれば納得するしモチベーションも上がるしやる気もでる、でしょう?
これに出会うために生まれ、これのために生きる。
そう確信できるものがあることが人を幸せにする最大の要因です。

たとえば
「この人のために生きよう、すべてをこの人のために」
そう確信し続けることができれば、人生の基点がそれになります。
考えるべきことはそれなのです、もはや迷いは生まれません。
自分すら勘定から簡単に外せます。自己が消えるからです。
そしてその対象から「ありがとう」と言って貰えるなら
きっと心は満ち足りることでしょう。他の物は外側のものにすぎないのです。

本物の愛は揺るがず、本当の幸せはそこにしかありません。
それは生まれた意味であり、生きる理由です。

これを持たないと人は迷います。
目の前の確信の無いものに目移りします、あれもいいかもこれもいいかもとなります。
このとき人は自分のことしか考えません、自分の空虚感を埋めることしか頭に無くなってしまいます。
「こんな女が好み」「こんな条件の男性と結婚したい」「こんな子供が欲しい」とか。
人は短気です。命の時間に限りがあり、すぐ焦ります。
有名な哲学者の言葉で「人類最大の愚かさは短気であること」とありますが、そのとおりです。
本当に欲するものだけを探し求めればいいのに、待てずにそうじゃないものに飛びつき間違い傷付きます。
常にお腹が減っているのです。我慢できないのです。待てないのです。
たとえ毒物があるとしても、毒水だとしても、喉が渇いてお腹が減っていれば飛びつきます。
そして後悔するのです。苦しむのです。
心が寂しさ・空しさ・得られない本当の幸せを待つことに耐えられないのです。
苦しさから怒りが生まれ、誰かを傷つけたくなります。
誰かを不幸にしてやりたくなります。苦しい人はまた不幸な人を作り、苦しみを広げます。
親が苦しみ怒りを子供にぶつけ、子供もまた苦しみ、その子供がまた確信を持てず迷い苦しんだまま親になります。
これもまたエンドレスなのです。


すべての人を愛することは難しいです。
でもたった一人の人を本当に愛することができれば
それはすべての人を愛することと同義です。エンドレスですから。
愛することは傷つくこと、傷付かぬことは愛ではない。とマザーテレサは言いました。
私はキリスト教徒は嫌いですが、マザーとその意思を受け継ぐ人たちは尊敬しています。
マララさんが行っている活動ももちろんすばらしい勇気ある行動ですが
できるならあと一歩深く踏み込んでもらえたらと思います。
差別や無教育のさらに奥にもっと一目につかない問題が潜んでいます。
それらが差別や暴力や苦しさを生み出します。

根源であり真理の到達点。
愛することより尊いものはなく
愛されることより尊いものはないのです。
すべてはそれから生まれ、そこに戻るのです。
キリスト教ではそれを主(の愛)と呼び
仏教ではそれを空(くう)と呼び
ヒンドゥー教ではそれをヒラニアガルバ(黄金の宇宙卵)と呼び
量子物理学ではそれを量子の真空の海と呼び
日本ではそれを幸せと呼び

多くの人はそれを愛する人の名前で呼びます。


人生の苦しみは逃げようが無く、人を容易に自壊させます。
盲目になって自分の無知から目を背けて苦しみをばら撒く側になったり
得られなかった愛情に飢えて闇雲に憎しみをばら撒いたり
終りの見えない困難に負けて自殺したり、、、

わたしは困難とは自分の心を成長させるためのものだと思っていました。
それが環境によって押し付けられたものだとしても
自分の失敗によって落ちてしまったものだとしても
必ず乗り越えていけるものだと信じていました。
楽観主義者だったので、そう思っていました。
考え方を変えて、見方を変えて、方法を変えて、人は何でもできる。
そう思っていました。

逃げ場の無いものがあるとは思っていませんでした。

考えようによってはどんな道もある、というのはその通りです。
ですが「その人のその人生において逃げられないもの」というのがあるんだと知りました。
何度も立ち向かうんだ、諦めちゃいけないと心に言い聞かせても
ほぼ慢性的に襲ってくる不満、不満からの怒り、後悔、悲観。
たった一人という孤独感、誰も信じられない恐怖。
死んだ方が楽じゃないか、逃げ出してなにが悪いんだと、思ってしまう。
自分が笑って平然と暮らしていた裏で、こんな思いを抱えてそれでも生きていた人がたくさんいたのかと思うと言葉になりません。

越えられると信じて行動していられるうちはいいのです
それでも越えられないとなって息切れしてきたとき
そこからが本当の困難と呼ぶものだと知りました。
わかってはいるのです。
この先こそ自分が試されるところで
自分で乗り越えなければいけないもので
逃げられないもので
生きる意味だということは、わかってはいるのです。
進むしかないのです、自分の命も心も勘定から除外して。
こんなに人生が怖いものだとは知りませんでした。
でもこれもわかっているのです
心の底から怖いと思うのは、それが大事だからだということも。

苦しさは本当に大事なものが何かを気付かせる、と
前に自分で書いたのに、今また気付かされます。

素直になるのは本当に勇気がいることだと、本当に思います。

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