「天にいる誰かさんは、きっとお前のことが気に入ってるのさ」

「人生の目的は、どこの誰がそれを操っているにしろ、
手近にいて愛されるのを待ってるだれかを愛することだ、と」

名作SF小説「タイタンの妖女(サイレン)」において
主人公マラカイ・コンスタントが最終盤で言うセリフです。
私たち人類は、発達した知能とその科学によって
平然と自分たち以外の生命を自分たちの目的のために利用します。
家畜として飼われている動物も、品種改良された家畜や植物も
今でも毎日殺されている実験室のマウスたちも
彼らは自分たちの人生が人間の手のひらの上で
生殺与奪どころか、生きる意味を選ぶ権利すらありません。
彼らは彼らの精神レベルで、精一杯の生を生きています。
自分たちが人間によって操られているなどとは夢にも思っていません。
ただ、今ある現状を精一杯に生きています。

これは、当然のように私たち人類が
「自分たちよりさらに大いなる何者かに操作されている」
という可能性を示唆しています。
この大いなる何者かを、宇宙人と捉えてもいいですし
神や天使たちとも捉えていいと思います。
ただそれは私たちの想像を超えた生命の姿であることは
間違いないだろうと思います。
家畜や植物やマウスたちが
人類が食料の確保や、自分たちに便利な植物
人類を進歩させる医療や化学の実験に
使用されているなど想像だにしないでしょう。

真理や秘儀、宗教でも言われるのは
神は無慈悲であり、そもそも我々人類のことなど気にも留めないという点です。
いったいこの世界のどこに
食われるために肥え太らされる家畜の気持ちを思いやる人がいるでしょうか?
遺伝子操作され交配され増やし刈り取られる植物の気持ちを思いやるでしょうか?
実験のために身体をいじくりまわされ殺されるマウスの、その幸せを祈るでしょうか?
そこに人類の視点では明確な目的があります。
ですがそれは家畜や植物やマウスたちの幸せなど考慮されません。

ですがもし家畜や植物やマウスたちが
「ぼくは幸せになりたいんだ」と語りかけてきたら
私たちはきっと仰天して、いままでの行いなど出来なくなるでしょう。
それは相手の精神レベルが自分たちに近いレベルに到達したからです。

神は、無慈悲で、我々の幸せなんて些細なことには無関心です。
ですがもし人類の中で神の精神に近づく人がいたとしたら
当然神はそれを無視したりなどできないでしょう。
むしろ神はそれをずっと待っているのかもしれません。


私たちは自分の人生がなにかに操られているなんて想像すらしません。
ですが私たちは物理法則に則り生きています。
化学の法則も、素粒子物理学の法則も
宇宙を構成するすべての法則も
その宇宙を生み出した想像を超える法則も
すべてが無限の可能性、たった一つの現実という永遠を形作ります。
わたしたちはそれらに操られた人形同然です。
考え、行動したそれすら脳内のシナプスで行われる電気信号であり
それらはすべて法則に則っています。

ある人は「この宇宙は神のフラスコ」と表現しました。
これをグノーシス主義と言います。
グノーシス主義とは自らを神と思い込んだ偽りの絶対神が
宇宙を支配していますが、実はその外に更なる大いなる神がいて
その神すら実は偽りの神で、それが延々と続いた先の
すべての根源に、真の大いなる何かがただ存在しているという考えです。

世界の宗教においてすべてに言えることですが
現在信仰されているすべての神は、このグノーシス主義で言う偽りの神です。
現在の宗教に真の大いなる何かを表現したものは一切ありません。
すべて自らを神と思い込んだ未成熟な神たちです。
それは下位精神生物を自分たちの思い通りに操る人類とまったく同じです。
それが無限の愛だとしても、それは未成熟な神の愛にすぎません。
ただ人類からすれば想像を超えた絶対的アガペである、というだけです。
動物たちからすれば精一杯の愛も
人類から見れば動物の本能に従っただけのものにすぎません。
植物たちのただ精一杯に生き、生み、増えるだけの命も愛も
人類から見ればただの植物の法則にすぎません。
今にも枯れそうな花に、今にも息絶えそうな花に
たまたま誰かがきまぐれに水をやったとします。
それはただのきまぐれですが、花からすれば神の奇跡です。
「雨が降らないのに、水が降ってきた!奇跡だ」
花が言葉を話せるならそう言ったかもしれません。
花からすれば人間という大いなる生命を理解などできません。
ただなにか大いなる者が自分に生きる糧である水(愛)を与えてくれた。
それはまさに奇跡であり、神の御業なのです。
花にとってはそうなのです。

我々人間がときたま「これは奇跡だ!」と思ったり
「なんていう絶望だ」と思ったりすることも
私たちが知覚すらできない大いなる生命の作業のついでであったり
きまぐれであったり、なにか別の目的があったり
その大いなる生命からすればとるに足りないことなのです。
そして、それは覆せるようなものではないのです。

「人生の目的は、どこの誰がそれを操っているにしろ、
手近にいて愛されるのを待ってるだれかを愛することだ、と」

SF小説「タイタンの妖女」のマラカイが言ったこのセリフは
そんなさまざまなものをただ受け入れるしかないということと
愛とはそういうものかもしれない、ということが描かれているように思えます。

この小説は予想していたよりもはるかに面白く
胸に来るセリフもたくさんありましたが
最後にこのセリフを書いておきたいと思います。
マラカイの息子、クロノのセリフで、、、

「お父さん、お母さん。ぼくに生命という贈り物を、ありがとう」

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