孤独の旅人

なんで人は愛されたいのだろうか?

なんで誰かに愛してほしいと、思ってしまうのか





中世時代のとある城で
赤ん坊が生まれてすぐ、一切の人間と接触させず
話しかけず、でも必要な栄養は完璧に与えた場合
どうなるのかということを実験しました。
食事を与えるときは覆面をした人が与え
汚物の取替えなども行いますが
決して素手で赤ん坊には触れません。
栄養は与える、でもコミュニケーションを行わない。
そういう実験です。

結果、赤ん坊は十数日で死亡しました。

栄養は十分でした、居住環境も良かった。
でも赤ん坊は死亡しました。
なぜでしょうか?不思議です。

20世紀の聖人マザーテレサは
「孤独こそもっとも重い病」と言いました。

人間は
「摩擦の無い接触による相互理解という合一」を求めます。
人間の肉体と精神には、そういうシステムが組み込まれています。
人間は
攻撃されたくないのに、誰かを攻撃します。
傷付けられたくないのに、誰かを傷つけます。
否定されたくないのに、誰かを否定します。
人間は
愛されたいのに、愛しません。
大事にされたいのに、大事にしません。
一つになりたいのに、個であろうとします。
人間とは、生物とは、矛盾の具現です。


人は孤独です。より深く誰かを愛したいと
誰かと繋がりたいと、誰かと一つになりたいと
そう願う人ほど、孤独という現実を知ります。
人はみな孤独です。気付いているか、そうでないかというだけです。
現実は、その人間の知性によりその姿を変えます。
深い知性は、現実の恐ろしさを、孤独という現実を眼前に突きつけます。

心理学において、最上級の欲求の一段下の欲求を「承認の欲求」と言います。
下位欲求である食欲や睡眠欲などの身体が求める安定を満たしたあと
次に求めるものが「誰かに認められたい」という欲求です。
欲求は下位の欲求が満たされることで
その次の欲求を求めるという仕組みになっています。
自分の存在意義を認めて欲しい、必要としてほしい、つまりは愛してほしいのです。
文明レベルの高い先進国ほど精神病による自殺などが多く
孤独という病が蔓延するのはそのためです。
人は、誰かの中に自分を見つけたいものです。
その人の心の中に自分を置いて欲しいのです。
食欲と睡眠欲が満たされれば、生物としては十分です。
ただ生きるだけならば、現代の先進国は天国です。
なのに、寂しい。なのに、苦しい。自分が見えない人が増えています。
(これは昔の人は自分が見えていた。ということではありません。
昔の人は、そもそもそんな精神レベルにすら達していなかったというだけです)
誰かに愛してほしい、誰かに必要とされたい、
あぁ、あなたの心の中に私を住まわせてください。
すべての人がそう思っています。
この承認の欲求というレベルが現在の人間の大半を占めると言われています。
今現在世界を脅かしているISによるテロリズムも
この承認の欲求の中で起こっていることにすぎません。
孤独という病がもたらす恐怖、その恐怖から逃げるための聖戦。
イスラム教の聖人たちが見たら悲しみに暮れることでしょう。
この世界で起こるすべての苦しみは、孤独から生まれます。
孤独という地獄、孤独への恐怖、その恐怖が怒りを生み、暴力を発生させます。
あなたが誰かと話していて、イラっとしたとき、それは根本的には
テロリズムの殺戮と同じ感情だということです。
「承認されないことへの恐怖」、満たされない思いの苦しみです。

親に愛されないというのは恐ろしい苦しみです。
どんな子供も親に愛されたいと願っています。
ですが、この世にはそれをまともに与えられなかった子供がたくさんいます。
お腹いっぱい食べることができずに育った子供が
大人になるととても食欲の強い人間になるというデータがあります。
親に暴力を与えられた子供は、自分の子供に暴力を与えるというデータもあります。
与えられたものを、そのまま与える。
愛に飢えた子供は、愛を渇望し、自分の子供に愛を求めるというデータ、があります。
愛を与えられるはずの子供が、親へ愛を与えなければならなくなる。
子供は自分を殺してでも、親に必要とされる自分を形成します。
その子供の本当の心は、その子自身の手で殺され、置き去りにされます。
そこまでしてでも、親の心の中に自分の居場所が欲しい、愛して欲しい。
満たされない心が、また満たされない心を生み、連鎖していきます。
子供のときの愛への思いが、その後の人生を大きく左右するということです。
これもまた存在を認められたい、人の心に居場所が欲しいという承認の欲求です。

人は恐れます。愛されない自分を。
誰かの心の中に自分がいないことを死ぬよりも恐れます。
この世界で起こるすべての暴力行為は、自傷行為そのものです。
嫌なの!怖いの!助けて!気付いて!かまって!誰か、私を見てよ!愛してよ!
この世界で起きるすべては、こんな子供の心の叫びです。
これは現実であり、事実です。
すべてを単純化するとこんなものに行き着きます。
マザーテレサは言いました、「孤独はもっとも重い病」と。

人は悲観します。恨みます、妬みます、否定します。
満たされない思いを、誰かが悪いという言い訳を隠れ蓑にして吐き出します。
自分より劣った人間を、下種な人間を、見下せる人間を探して
それを隠れ蓑にして、寂しい、怖い、助けて、と叫びます。
「○○って最低だよな。」「○○とか人間として信じられない」
「頭おかしいよあいつ」「頭が悪いからあんなことできるんだよ」
「あいつは役立たずだ」「あの人は人間のクズね」
「俺は正しい、あいつがおかしい」「私は普通、あの子が常識はずれ」
差別というものは、こういった人の孤独に負けた心が
その悲鳴を自分自身から覆い隠すために生まれたものです。
人は本心を外に出すことを恐れます。
丸裸の心は、傷付くからです。
寂しい、怖いと言えないから、差別と敵意で隠します。
本質は、ただの孤独への恐怖でしかありません。
多くの人がバカみたいと思うようなことが真実です。
「誰しもありのままの自分をただ愛されたいのです」


承認の欲求が最上級より一段下の欲求です。
この承認の欲求が満たされると、その上の次元に移行します。
心理学で最上級の欲求、「自己実現の欲求」です。
承認された、認められた、居場所を見つけた、満たされた
その心は愛を創造することを求めるようになります。
これを自己実現と呼びます。
愛を自らが創造し、それで自分自身を満たす。
自己で自己の存在を承認するということです。
人は、誰しもここを目指しています。
自分で自分を完全に肯定する。
もはや他人の心の中に自分がいるかという恐れはありません。
なぜなら、他人の中に自分がいないわけがないと知っているからです。
愛されることは当然という心理です。
愛されることは当然、そして愛することも当然ということです。
完成された人の心。それを自己実現と呼びます。
すべての人が、そこを目指しています。
満ち足りた心のとき、人は悪意という恐れなどすでに忘れています。
人はみんな、本当は愛し合いたいのです。
誰かを傷付けたい人などいません。




無知の正体が恐怖だとわかったとき
知性の正体が愛だと理解できます。
人は誰かを愛するために生まれてきます。
また愛されるために生まれてきます。

孤独という病は
愛の本当の価値を知るための
旅人が持つ荷物のようなもの
旅が終わるとき、その荷物は必要無くなります


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