「神化論 -あなたのためのこの両手-」

なぜ人間は神という概念を作ったのでしょうか?
いやなぜその概念が生まれたのか、というのが正しいかもしれません。

生物の法則は、生きることです。
そしてなぜ生きるのか、という理由は、その生物の本能でもわかるとおり
生殖機能がより良い相手を探すのでわかるとおり
より高度で、より完全な、生物に進化するためです。
生物学などでは、生き残るためにより良い繁殖相手を探すと言われています。
意味はとてもよくわかります、誰でもわかると思います。
生存するために、より強い遺伝子、より生物として生き残りやすい配合を求める。
生物はそういう法則で生きています。
ここで面白いことは、「自己が生存するため」にこの法則があるわけではないということです。
生物の本能、より良い遺伝子、より良い配合を求めるのは
「子孫」のためです。
自己のためではなく、自己が死亡したあとの、子孫のための法則です。
生物は自己防衛本能があり、自己を愛します。
なのに、その法則というシステムは、すべてにおいて、子孫のために存在しています。
生物は、自分のためにのみ生きるもの。それが生物学の現在の答えです。
なのに、その法則はまったく逆の答えをすでに提示しています。

多くの人が、自分のために生きていると思っています。
愛する相手を探すのも、守るのも、最終的に自分の利益になるから
子供を愛するのも自分の子供だから、自分の利益だから
現代の人、とくに日本人はこの考え方にとても執着しています。
ですが、現実にある生物の本能というシステムはそのまったく逆です。
言い方はとても悪いですが
ちょっと自分は頭が良いと思っている人ほど
「人は結局は自分のために生きているんだよ」と考えている場合が多いです。
日本人は義務教育の効果もあり、世界的にも頭の良い民族です。
それゆえにこういう中途半端なことが起こりやすいと思われます。
現実を見れば、そんな低次元な法則で世界が動いていないことは明白です。
私たちはどうあっても自分のために生きられません。
そもそも自分という境界線をどこでつけるかすらほとんどの人がわかっていません。
学校で教わったこと、TVで流している情報、ネットの情報を鵜呑みにして知った気になります。
そんなことはない!と強く言う人は、地球が丸いというのを信じるんでしょうか?
宇宙という空間にたくさんの星が浮いていて、太陽系があり、銀河があり
それが広がっているということを、、、信じるんでしょうか?
だって記録映像もあるし、歴史的事実として、科学や天文学が発見したと。
はるか古代の人も、この世界が平面で、端は滝になっていて、象を亀が支えていると
我々現代人と同じように疑問にすら思わず信じていました。
神が世界を創造したと信じていました。
あなたがそうでないと言い切れる根拠などどこにも無いのです。
人間は、自分で考えることをせず、用意されたパズルのピースで中途半端な答えを出します。
自分でパズルのピースを作ろうなどと思う人間は皆無ということです。

子孫のために我々は存在している。
そんなことを言われたら、不妊症の女性や、子供を生めなくなった女性
子供を失った女性を蔑ろにしていると思われると思いますが
そんなことは当然ありません。
さきほども書きましたが、そもそも自己の境界というものすら人間はわかっていません。
なぜ我々は会話ができるのか、触れ合えるのか、認識し合えるのか、理解し合えるのか、
そんな当たり前なことをほとんどの人が疑問にすら思いません。
人と人は繋がっている、これは体感で理解できるのは女性でしょう。
男はこれを物理的に体験することは胎児のときにしかできません。
母親から切り離されたとき、男は母親から死の宣告を受けます。
女には命を生む可能性が与えられ、男はそれを持ちません。
我々男は、生まれながらに不妊症であり、子供を生めません。
我々男は、生物として、女が子供を生むための道具でしょうか?
違います。
男は力を求めます、知恵を求めます、夢を、無形の光を、愛を追いかけます。
子供を生めない女性も、生まない女性も、それらをちゃんと残します。
小さな愛は波紋になって、あらゆる形で次世代へ響きます。
愛が無意味だなんて思ってはいけません。
それは無駄であり、妄想です。


生物の法則は、自己のためにありません。
ですがよりよい子孫、進化した生物は、いったい誰なのでしょうか?
それが私たちではないとどうして思うのでしょうか?
死が終わりなどと、なぜ思うのでしょうか?
たまに、親が子供に自分の果たせなかった夢を託すときがあります。
少なくとも、ほとんどの親がその願望を持っています。
いや正確に、すべての親がその願望を持っています。
自分が思い描ける限界の、完全な自分、完全な生命を
追い求めたいという願望がそこには投影されています。
人間はより良い自己を求めます。
それは、より幸せな自己を求めるということです。
力とは知恵、知恵とは幸せを具現化する手段です。
そして知恵の究極の到達点は愛です。
愛が人を幸せにする、という理由がここにあります。
生物は本能のままに自己のためだけにある。
人間も所詮動物だ、そんな言葉をよく聞きます。
子供の幸せを願うことすら、親の傲慢。
そう思う人もいるでしょう。
それは無知です。
親の愛は素晴らしいなどと言いたいのではありません。
生命は繋がっています。
親と子は近しく繋がっています。
自己の幸せを望む、という生命の法則に従い
親は子の幸せを望みます。
そこにいる子が、自分自身だと本能が知っているからです。
これと同じように
すべての生物の起源は同じです。
人類みな兄弟などと言いますが
すべての生物は兄弟、というより同一な存在です。
わたしたちの目の前にいるすべての生命は
もう一人の自分の可能性の姿です。
わたしたちは、自分のことを好きになったり嫌いになったり
生んだり、生まれたり、殺したり、殺されたりしています。
ある人の苦しみは、自分の苦しみだと、人は気付けません。
たとえ気付けても、それを本当に理解するには至れません。
今、世界中で宗教戦争が起きていますが
その宗教が、実はすべて同一のものということすら気付けません。
生命とは、大きな一つの生物です。
わたしたちが愛を語るとき、自分に語っています。
愛し抱きしめるとき、自分を抱きしめています。
これは夢物語ではありません。
ただの事実です。


生物は、いや生命というものは
一つの完全な生命であり、完全な生命をを求め進化しています。
進化する手段を知恵、知恵が求めるものは愛、そして
愛は生命の最大の目的であり、生命は愛です。

あなたが大嫌いだと言う人も、あなた自身です。
あなたを傷付けた人も、あなた自身です。
あなたを救ってくれなかった人も、
あなたを裏切った人も。
人は傷付くことを恐れます。
人はそれぞれ進化の段階が違い
許容できる範囲も違い
許し、愛せるその両手の範囲も異なります。
聖人になれと言っているわけではありません。
この世界を恨んで、憎んで、その恐怖と憎悪のままに殺戮をしても
それはその進化の段階にあるその人の精一杯の両手の愛です。
それが精一杯なら、責められはしないのです。
殺された方はどうなるんだと言われると言葉に詰まります。
でも、私たちは誰かを傷付けずに生きた人間などきっといないでしょう。
自分の恐怖に、孤独に負けて、平然と他人を傷つけたことが誰しもあるはずです。
傷付けたことすら覚えていない、むしろそれを正しいとすら思っていたり
自分の正しさを信じたいがために現実すら歪めます。
それすら、その両手の精一杯の愛なのです。
これが精一杯です。
ごめんなさい。
あなたの理想のようにはなれなくて
あなたを救いたいのに
わたしの両手の届く範囲は小さいのです。
人は、それでも、その両手で届くところまで手を伸ばします。
その範囲がそれぞれ違うだけで、それが個人の差異というものです。

生物の本能はより完全な生命へ進化することです。
人と人が、生命と生命が、いがみ合うことも、助け合うことも
その両手にある精一杯の愛という法則です。
生物の本能はそれを求めます。

すべての人が思っています

助けて、と

そして、助けたいと



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