宗教について第九回「聖なる三角形 -男と女と愛-」

男は女の内に光を求め
女もまた男の内に光を求めます。
それは安易な子供の夢想でしょうか?
少年少女が夢見るような漫画やドラマみたいな恋物語。
大人になれば誰もが現実を理解し
大人な男女の関係になるのでしょうか?
相手に期待するのは愚かでしょうか?
必死に恋をすることは愚かでしょうか?
心と心は触れ合えないものでしょうか?
恋は死にますか?
愛は死にますか?
本当に相手が見えていますか?
本当に自分が見えていますか?
なにを求めていますか?
なにがあなたを幸せにするかわかっていますか?
永遠の愛があるなんて
怖くて口にできないですか?
裏切られるのがそんなに怖いですか?
自分の本心がそんなに怖いですか?




宗教においての男女というものを説明していきます。
これを読んでどう思うかは読んだ人の感性に委ねられます。
それはあなた自身と思ってください。

男女差別というものがあります。
多くの国の文化にそれは根付いています。
男尊女卑、ほとんどの文化圏にそれがあり
歴史上、ほんとうに多くの女性を苦しめてきました。
この男尊女卑の根幹は宗教的考え方に根ざします。

宗教において、男とは天の属性であり
女とは地の属性になります。
世界中の多くの神話で太陽が男性であり
大地が女神であることもそれを象徴します。
歴史的に男性は女性を人間として劣等種として扱ってきました。
この最大の要因が女が感情的生き物であり
理性よりも本能に従う傾向があるからです。
男性は理性的、左脳的な生き物であり、秩序を重んじます。
対して女性は本能的・右脳的であり、感情を重んじます。
古代、多くの男性学者が女は愚か者と定義づけました。

宗教の真理において
世界を構築する二つの要素「光」と「質量」
エネルギーと質量と言ったほうが現代ではわかりやすいかもしれません。
光とは知恵であり、質量を進化へと導く愛です。
質量とはそれに従い、進化を促される物質側となります。
世界を構築する要素を人間に当てはめると
知恵をもって女を導くのが男
男の知恵に導かれ受け入れ、愛へと進化するのが女です。
男は無限の奉仕という愛を、ただ女に捧げつくす存在であり
女は男に無限の愛を捧げられ、新たな新人類へと進化を手渡すことで
人間を神に進化させていきます。
本来宗教は
「愛を捧げる側」として「男」を
「愛を受け取る側」として「女」を
エネルギーと質量の関係はそのまま男女の関係に当てはまり
それこそが人の理想の姿としました。

ですが、その考え方は大多数の人間には理解できないものでした。
「男は有能、女は愚か」「女は男に従うもの」
精神が進化していない人類は、それを歪んで表現しました。
知恵の無い男は、女を私物化し
知恵の無い女は、奴隷となりました。
男尊女卑という考え方は、本来は理想の男女のあり方を
知恵の無さゆえに歪んで捉えた古代から現代までの人が持つ妄想です。



現代でも、男性は女性に従順さを求めます。
かわいい女の子がモテる、なんて女性雑誌に特集がいつも載っています、
女性も男に従順であることで庇護されることを望みます。
これは本能です。
ですがその本能の本当の意味をほとんどの人は知りません。
インドのある聖人が言った言葉で
「弟子としての才能は女の方がある。女は従順に受け入れる特性があるからだ。
だが女は弟子にはなれるが師にはなれない。
男は弟子としては女より劣る。だが自らの意思で道を開き、悟り、師となれる。」
という言葉があります。
男は導く者、知恵を悟り女を導く者になれます。
女は受け入れる者、師に従う者になれます。
これは男女差別をしているわけではありません。
そういう特質があるという事実にすぎません。
女性からすればバカにされているように思うかもしれませんが
女は子供が生めるが、男は生めないという事実と同じことです。
ただそういう特質があるというだけです。
男は、導くために、苦しみもがき、知恵を深め悟り、愛となります。
女はその愛を忠実に受け取り、花を咲かせ実を付けます。
(ここで言う実とは、子供でもありますが、愛そのものです。)
これが男女というものの本能です。
この本能が男女の特質です。
ですが愚かな男であれば、女を恐怖で支配して奴隷にしようとし
愚かな女であれば、奴隷にされることで動物にまで身を落とします。

愛とは自由です、愛とは束縛からの解放です。
男とは、重力に縛られた女を、その束縛から解き放つことを運命とします。
男は女に比べて肉体の本能に抗う精神力が強いという特質を持ちます。
これは、使命のために命を投げ出すというような
生物の本能を凌駕するもの。使命、夢、そしてそれは愛です。
これは生物としてありえないことです。
ですが生命という光としてなら圧倒的に正しいことです。
男は精神の世界で、光となることを本能で目指します。
だから男は、夢を追わずには男たりえないのです。
男は生まれながらにして無我の愛を捧げる対象を探す運命を持ちます。
女は男に比べ肉体の本能に縛られています。
生まれながらにしてその肉体は男より自由が無いのです。
ですが高い感受性と愛を受け入れる従順さを持ち
注がれた愛が本物であれば、束縛から解放されます。
注がれた愛に応じて、その美しさを反映させるように
より進化した、より神に近い人間を生み出します。
女は生まれながらにして、愛を注いでくれる者を探す運命を持ちます。

人間は、なにより人間がわかりません。
知恵というものは自分よりも下位の存在は理解することができ
また理解することで操作することもできます。
ですが、自分以上の存在は理解できず操作もできません。
古代の人々は自分が操れない大いなる存在を神と呼びました。
大自然や、あらゆる自然現象、化学的現象、病気など
自分ではどうしようもできないものは神でした。
現代ではそういったものが法則というものであることを理解しています。
理解したから操れないまでも予測したり、また対応したりできます。
ですがそれがなぜ存在するかなどは、まだまったく理解できていません。
理解できないのだから操作するなど夢のまた夢です。
古代の人々は理解できない大いなる存在を、畏怖しました。

さきほども書きましたが、人間は自分以上のものを理解できません。
つまり自分のことも理解できないということです。
自分を理解できないということは、自分と同次元の他人も理解できません。
理解できないなら操作できません。

人間は、自分と他人を理解できないからこそ、恐れます。
人間はどれほどのことをしても、人間である以上自分というものは絶対に理解できません。
そして同様に他人というものも絶対に理解できません。
それは、「どうあっても人と人は理解し合えない悲しい生き物なんだ」ということではありません。
「どうやって理解という関係が自分と他人を繋げているか、それがわからない」ということです。
人と人は繋がっています。ですが、人間である以上、その繋がりの本当の姿を理解できないということです。
つまり、人間を超えればそれを理解できるようになるということです。

人間を超える。
SF映画のようにミュータント(突然変異)のヒーローみたいになったりするのかと
思うかもしれませんが、そういうことではありません。
いやいつかはそういった突然変異のようなことは起こるかもしれませんが
今回はそういうことを言いたいわけではありません。
我々人類、というよりもすべての生命、すべての存在は進化しています。
進化しないものはこの宇宙に存在しません。
人類という枠だけで見ても、1万年前の人類と現代の人類は別物です。
極端なことを言えば、親と子も、一世代分の進化をした別種です。
親は、決して子を超えられません。子は必ず親よりも進化した生命です。
ですが自分のことすら理解できない人類に、それを理解するのは不可能です。
でも、人類が原人から進化した、と言われたら、多くの人が納得するでしょう。
原人と、現代人が、まったく別種だと感じるからです。
差異が大きいから、進化の差が大きいからです。
動物も、魚も、植物も、微生物も、分子も、原子も、素粒子も、宇宙も
すべて我々人類の祖先です。
でも別種の存在だと感じるはずです。
進化の度合いが違い、そこに大きい差異があるからです。
子は必ず親を超えています。
それを理解できないのは親であり、子は理解します。
なぜなら、子は親よりも、進化した人間だからです。
優秀な親から、不出来な子が産まれ育ったとします。
それでもより進化した人類は子の方です。
優秀と、そうでないか、など「自分すら理解できない人類」に
その判断ができるわけがありません。
小さな視野による小さな価値観の中で優秀かそうでないかを判断しているうちは
自分すら理解できず、ましてやより進化した子についていくことなど夢のまた夢です。
人間は、常に新たな新人類を創造しています。

終わり無いと思えるほどの人類の愚かな歴史すら
愚かな人類なりの精一杯の愛です。
その愚かさの積み重ねが、今の進化した世界を作りました。
現代も問題は山積みですが、昔よりははるかに良いのですよ?
愚かな男の無知な暴力や支配欲すら、それは小さな愛です。
その愚かで小さな愛に服従し奴隷となった女も、進化した愛を生みます。
それは子を産むということだけではなく、より神に近いものを生むということです。
子を生めない女、失った女だとしても、そこに必ず神に近い愛を生みます。
それは目に見えなくても人類を進化させる次世代の光です。

男は、愛に導く者になれます。
女は、導かれ愛を生む者になれます。
そして愛は、神です。
より完全に近い人類です。
宗教においてこの三角形が、世界の姿です。
この三角形はさまざまな宗教や神話に描かれています。

男はなにを求めているのでしょうか?
女はなにを求めているのでしょうか?
なにがお互いを繋ぎ合わせ、幸せにするのでしょうか?
同性愛というものもありますが
事実、愛というものに実際は性別など関係ありません。
そこに本当の愛が生まれるならば、それは正解です。
本質的に必要なものは
愛に導く者と、導かれ愛を生む者と、愛だけです。


求めているものの深さ、大きさ、純粋さ、強さ
それらが近い者ほど強く惹かれ合います。
近い波長、同じ波長の者同士で惹かれ出会い共振します。
この共振の強さを、愛の強さとして人間は認識します。
これは価値観が近いとか、好みが同じとかいう次元の話ではありません。
自分にも、相手にも、それはわかりません。
その共振は生まれるべき愛より来るものだからです。
愛はそれを知っていますが、導く者と導かれる者にはわかりません。
結果が原因を生み出す、ということです。
これを運命と言います。

それに出会えたなら、いや正確には「気付けたなら」、それは幸運です。
それは自分に出会ったということです。
自分というものを理解する戸口を見つけたということです。
男ならば、自分の使命を見つけたということです。
女ならば、自分の意味を見つけたということです。
それはとても幸せです。

一人でも多くの人に、そうなってほしいと願わずにはいられません。

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