永遠を求めた男「徐福」 ~天外魔境IIINAMIDA~

人が目指す永遠のテーマ「永遠の命」
はるかはるか古代から、富と権力を極めた者が
必ず求めたものが「永遠の命」でした。

決して逃げられない死、未知の恐怖そのもの。
必ず死ぬのに、なぜかすべての人が恐怖するもの。
それを避けたくて、乗り越えたくて、さまざまな王や皇帝が
莫大な富を使って探させた永遠の命。

最近では物語などだと
永遠の命があっても、それによる孤独で
結局は最後に死にたくなるというようなものもあります。
もし医療が現代よりもはるかに進歩すれば
人の身体を不老不死にすることは可能かもしれません。
SFみたいな話になりますが
身体を交換し続けるという手段で永遠の命は可能かもしれません。
すべての人が永遠の命を持てば、孤独も無くなるかもしれません。
誰も死なない、誰もみな永遠の命。
それは、死を、生を、乗り越えたということでしょうか?

---------------------------------------------------------

はるか昔、今現在中国と呼ばれている国で
皇帝の勅命を受け、永遠の命を探した男がいました。
彼の名は徐福(じょふく)。
東の海の世界の果て、蓬莱という神の国に
永遠の命を与えるなにかがあると彼は海を渡りました。
彼は今現在日本と呼ばれている国に漂着しました。

----------------------------------------------------------

永遠の命、と言われて一般の方はどう捉えるでしょうか?
ずっと死なないで普通に生活ができることでしょうか?
不老不死と言ったらもっとわかりやすいでしょうか?
ずっと死なない、歳も取らず若い全盛期の身体を持ったまま
ずっと生きていく。そういう捉え方でしょうか。
まるで夢のようなことだと思います。
ただ問題は、それは生なのかということでしょう。
この不老不死を求める動機はたった一つです。
「死にたくない」という動機です。
死にたくない。です。「生きたい」ではないのです。
この死にたくないという恐怖心から、不老不死という願いは生まれました。
死という恐れ、死という理不尽からの開放。
それは人類の究極の願いとも言われたりします。

少し考えることができる人ならここですぐ気付くと思います。
「死にたくない」と「生きたい」の差はなんなのか?
そもそも死とはなんなのか?
人は死がなんなのかも知らずに恐れます。
もっと言えば、死がなんなのかわからないから恐れます。
わからないものが怖い、だから恐れる。
心ではなく、身体が、身体の本能が、遺伝子が、死を拒絶します。
死への恐怖とは、身体に組み込まれた身体維持機能というプログラムです。
私たちの心は死を恐れるという感覚を持ちません。
心、精神というものは身体とは別物だからです。
極端な例として書くなら
「TVゲームをしてて、ゲーム内のキャラが死ぬのを怖がるか?」という感じでしょうか。
精神と身体の関係というのは、まさにそういう関係です。
ただ、私たちは身体というものに縛られているので
思考そのものもその身体による思考をするので、死を恐れます。
身体の自己防衛機能から来る信号に強烈に反応します。
例えるなら、自分がゲームを操作していると気付かず
ゲーム内のキャラクターが自分自身だと錯覚しながらゲームしている状態でしょうか。
TVゲームをしていて、敵にやられそうになったらうわーってなります。
精神からすれば、身体の死への恐怖などその程度のことです。
私たちが究極的に恐れる死への恐怖というものは
精神からすればTVゲームのキャラのGAMEOVERくらいのものにすぎません。

質問があります。
心から愛している人はいますか?
自分のすべてよりも大事で、胸が震えるほど愛している人、いますか?
あなたが死ぬ代わりに、その人を幸せにできるなら、あなたは死ねますか?
あなたが死ななければ、その人は苦しみの中で絶望の死を迎えるでしょう。

実際にこんな状況になることはほとんど無いだろうと思います。
でももしほんとうにそんな状況になったら
病気の愛する人を救うために、自分の身体を明け渡せと言われたら
人によっては、きっと泣きながら喜んで差し出す人もいるでしょう。
今、重病で、治すこともできない病気の子供を持つ親の方で
そんなことができるなら喜んで死ぬという人は世界中にいるでしょう。
そんなご両親に、もし
「今、あなたに永遠の命を与えてあげます」
と神さまが言ったとしたら、その両親は喜ぶでしょうか?
永遠の命は、人類の悲願です。永遠の夢です。
苦しみの元凶である死から解放されます。
なんと喜ばしいことでしょう。
・・・
でも、きっとご両親は、「そんなことはいいから、子供を救ってくれ」と言うでしょう。
永遠の命は、なんの救いにもなりませんでした。
人類の夢などと大層なことを言われる永遠の命は
人の苦しみすら救えません。

人は「死にたくない」のではないのです。
人は「生きたい」のです。
「生きたい」ということは、それはイコール、「愛しています」ということです。

死にたくないは、恐怖です。
生きたいは、愛です。

死にたくないという恐怖から生まれた、永遠の命という夢は
呪縛と言う悪夢です。

生きたいという愛から生まれた、命の意味は
一切の恐怖という悪夢からの開放、それは実在です。

------------------------------------------------------------------

徐福は、男女千五百人、合わせて三千人の子供たちを集めました。
それぞれに人類が持つ因子を一つ一つ別々に持った子供たちです。
その子供たちを計算によって掛け合わせ、すべての因子を持った人間、
本来神が持っていたすべての因子を再び一つに戻すことで
究極の人間、永遠の人間、完全な人間、「神」の創造を考えました。
彼が求めた永遠の命の答えは「神」になることでした。

------------------------------------------------------------------

現在この地球上で不老不死の生物は存在しません。
個として分化されたまま個を維持し続けられる生物はいません。
たとえ医学が進歩して、何度でも身体を再生し続けれるようになっても
もし地球そのものが無くなってしまったらどうしようもできないでしょう。
ではすごい宇宙船を作って逃げるという手もありますが
永遠の命を維持するためには、永遠にそれを支え続けるシステムが必要です。
あらゆる災害を回避する手段も必要になります。
どうせなら、完全に、永遠に、再生し続け、消滅しない、
そんな究極の身体を作ることができたら。
永遠機関となった身体を持った生命体。
あらゆる物質の頂点、あらゆる法則の頂点、
なにものにも脅かされない永遠の存在。
宇宙ですらそれには逆らえないもの。
・・・それはもう物質と呼べるものでしょうか?
その生命体は、生命体と呼べるものでしょうか?
永遠の生命体とは、それは生物なのでしょうか?
生命体とは、物質に力(熱、波)が宿ることです。
生命が力で、体が物質、合わさることで生命体となります。
物質は永遠にはなれません。
物質は必ず最終的に消滅します。
物質は最終的にエネルギー(力)に還元されます。
物質は死です、力は生です。

---------------------------------------------------------------------

皇帝の勅命により探し始めた永遠の命。
彼にはもう皇帝の勅命などどうでもいいことでした。
死にたくない、永遠に皇帝の座にいたい。
そんな低俗な人間どものことなど、徐福にとってはどうでもいいことでした。
永遠というものを探すほど、世界の本当の在り方が見えてくるようで
彼はその真理の到達点に辿り着きたいという思いに駆られていきました。
神になりたい、というような俗物な考えすらもう彼にはありません。
神に会いたい、見たい、触れたい、世界の真の姿を理解したい。
大いなるなにかがそこにある。
彼にはもう人間としての道徳や倫理などというものもありませんでした。

---------------------------------------------------------------------

人間の意識というものは、神の意識の一側面です。
人間の意識というものは、その小さな窓から世界の真の姿のほんの一部を覗き見ます。
もし二人分の意識を見ることができれば、
それは一人分よりもより神の意識に近い世界が見ることができます。
三人、四人、多ければ多いほど神の意識世界に近いものになります。
あらゆる価値観、あらゆる経験、あらゆる恐怖、あらゆる愛。
それらをすべて同時に感じる一つの意識。
すべての人間に神の因子が、意識として存在しています。
すべての人間、すべての存在の意識を統合することができれば
それこそが神の意識。本当の世界の姿です。

---------------------------------------------------------------------

祖国より遠く離れた未開の島国で
徐福はカミムスビの儀式を行おうとしました。
蓬莱と呼ばれていたその島国には
神と通行するための門があると言われていました。
その門を開くことができる者は、中道を行く者。
神の意思を持つ者だけでした。

永遠を求めた徐福にはもうすでに寿命がありません。
彼はすでに人間ではなくなっていました。
彼は集めた三千人の男女の子どもたちが
これから幾世代も交配していく中で
すべての因子が一つに集約されるよう
その子供たちに「足りぬ因子を求める」という呪いをかけました。
純粋な因子のみを完全に集約するために
純粋な因子を持った三千の子供たちが
間違いなく交配するように
時間と空間を超え、子供たちをバラ撒きました。
最初の因子を持った子供が交配し、子を産み
その子供が成長したころ、時間を越えて
次の因子を持った子供が目の前に現れる。
それをひたすら繰り返す。すべての因子が揃う子供が生まれるまで。
徐福はただ待つだけでした。
神の因子を持つ子供、中道を行く者。
カミムスビの門を開けることができる者が生まれるまで。。。

--------------------------------------------------------------

永遠を求めた先に、なにがあるのでしょうか。
いったいなにを求めているのでしょうか。
なんのためにそれを求めているのでしょうか。
人はよく、それを忘れます。
そこに本当の自分がいるというのに。

それは言葉にならないけれど
なによりもはっきりと感じることができるもの

それに出会ったとき、それと一つになったとき
すべてが無意味だったと気付くもの

出会いは運命
惹かれ合い、憎み合い、苦しみと絶望の果てでも
忘れることはできない

その痛みも、その弱さも超えて
その先へ

-------------------------------------------------------------

彼らは出会った。
男の名は徐福。
少年の名は南弥陀。
それは鏡合わせのもう一人の自分。

「FAR EAST OF EDEN 天外魔境III-NAMIDA-より」

画像

-------------------------------------------------------------

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

a
2016年03月05日 02:17
こんなの読むと、桝田版天外3をもう一度求めたくなる

この記事へのトラックバック