愛と欲の本質について

愛と欲というものは基本的に同じものです
人間、われわれ生物というものはまず基本として完全なものではありません
単体では存在できず、自分以外のすべてのものに寄り添わないと存在できません
不完全であることが生物であり、現在の形のわれわれの宇宙ではそれが普通です
この宇宙に不完全でないものは存在しません
すべては不完全であり、常にそれらは完全になろうと何かを求めています
この法則、求めあう法則を愛であり欲と言います

では愛と欲とはいったいどういう差があるのでしょう
愛とは、本当に求める究極の願いであり姿です
欲とは、それを除いたすべてのものを言います
この二つは相反する対極同士であり、本質的に同じものの二つの姿です


人それぞれ大事なものというのがあると思います
どれがどれくらい大事なのか、優先順位をつけるならどっちが大事か
お金が大事という人は多いでしょう、家族もみな大事でしょう
でもどっちが大事かと言えばそれは家族という人が多いでしょう
どっちが大事か、それをすべての対称に対して徹底して行ってみてください
本当にそれは大事なのか、なぜ大事なのか、大事な理由は何なのか
なぜそれにそこまで執着するのか、なぜそれをそこまで求めるのか
それはあなたにとって何なのか

自分でできるだけでよいと思います、突き詰められる限界まで突き詰めた
そこにあるそれ、その大事だと思えるものの姿はそのままあなたの愛です
人はそれを愛と呼びます
愛というものの姿ははっきりしません
なぜならその人の突き詰められる限界の度合いによって姿が変わるからです
ですがそれは姿は変えますが不変のものです
なぜなら姿が変わっているのではなく、あなたの認識の度合いつまり
突き詰めて気付いたその深さと理解の度合いによってそれはより本当の姿を現すからです
より深い理解や気付きがより本質的な愛の姿を見せてくれます

人は何かを求めます、それがなんであれそれらは必ずその本人を満たすものです
それらを求めることを欲と呼びます
あるときそれが正しい、それが真実と思ったもの、それが一番欲しいと思ったものは
少し認識が深くなっただけで、変わっただけで求めていたものではなくなるときがあります
それそのものが変わったわけではなく、本人の価値観・認識が変わったがゆえです
欲とは突き詰めると求めているものは愛というよくわからないものです
満足とも言い換えられます、つまりは本人を満たすものです
食べ物も愛です、お腹が減ればそれを満たしてくれます
でもお腹いっぱいのときに山ほどごちそうを持ってこられても困ります
それは求めていないものですが、またお腹がすけば欲しいという欲が出ます
満たすもの、満足というものは流動します、常に一定の価値があるものではありません
そのとき欲しいと思っても、あとでいらないと思うこともあります
そのときいらないと思っても、あとで欲しいと思うときもあります
本人に認識により流動する価値、欲しいと思うものが変化します
変化しない不変の価値、それは「満たすもの」という点です
求めているものはそのときの自分を満たしてくれるものです
これを求めることを欲と呼びます、これが欲の本質です

欲はその人を満たすものです
その感覚を人は「幸せ」と呼びます
求めたものが満ちると幸せに感じる、これが欲と幸せの関係です
自分をなにより満たすものを求めることが、欲という本能(法則)の本質です

「大事なもの」とは「求めるもの」です
欲の求めるものを突き詰めていくと、それは最終的に愛という不変で流動するなにかに行き着きます
その愛はその人の認識によって姿を変えます
我が子こそがその人の愛かもしれません
妻や夫かもしれません、それら家族かもしれません
遠くにいる誰かかしれません
絵かもしれません、音楽かもしれません、学問かもしれません
それら仕事こそがその人の愛かもしれません
自由かもしれません、憎しみかもしれません、孤独かもしれません
その人の認識によって愛は姿を変えますが
その突き詰めた姿は不変で流動する愛です


突き詰めるということは、自己を突き詰めるということです
自己を突き詰めるということは、自己の愛がなんであるかを探るということです
認識の深さは自己を突き詰めた深さであり
その認識の深さは、また誰かの認識の深さを測る目を養います
自己を突き詰めないと他人の深さも理解できない、というのはそういうことです
自己の愛への認識の深さが、他人の愛の深さを理解することになります
これをわかりやすい言葉で言うと「価値観」と言います
よく価値観の不一致などと言う言葉を見かけますが
価値観の違いというものは、この流動する認識という愛の違いということです
浅い認識で出会っても惹かれあっても、その認識はすぐ流動してしまいます
流動して変化した価値観でかみ合わなくなると、人はよく裏切られたような気持ちになります
でもそれは自分の認識が浅かっただけにすぎません
より深い本質を見落としていた浅い自分の認識こそが悪かったと思うべきです

本質はより深まるほど本質に近づき流動しなくなります
例えるならば水面に映ったものの揺らめきが小さいほど
そこに映ったものの姿を正しく認識できるようなものです
認識が浅いと水面は揺れて本当の姿が見えずに人は誤解します

よく「直感は大事」という人がけっこういると思います
天才と呼ばれる人や、アーティストやスポーツ選手や科学者も
理屈的ではないけれどふとした直感を大事にしている人達はいます
この直感というものは本質を正しく認識する統合感覚の本能です
これはより深い認識を持つほど、それに見合った深い直感を呼び
また邪念(余計な迷いや雑念)が無いほど鮮明に発現します
(ただ「直感」と「感情の思い込み」を混同する人は多く大きな誤解を生んでいます
浅い認識では浅い直感しか発動しませんし、超能力的なものでもないです)
この直感というものは「大事なもの」を「求める」ときに発現する本能です
水面にある瞬間だけまったく揺らぎのない時間ができて本質の姿がはっきりと見えた
みたいなものだと思ってもらうとわかりやすいかもしれません

大事なもの=愛を、求める=欲は
突き詰めたときに直感となって眼前に現れます
芸術家や科学者や偉人や普通の人でも
ただそれだけを求めて突き詰めているときに直感が発現します
愛を求める本能の能力、それが直感です


愛は欲です、欲は愛です
欲は愛になる前の姿です
愛だと思っていたものは、そう認識していたものは
ひとつ認識が深まると愛ではなく欲であったと気づきます
でもそれまではまごうことなくそれは愛であったのは間違いありません
どこまでが欲で、どこからが愛か、そもそもすべて欲ではないのか?
でも逆に考えればすべての欲は愛であるとも思えます
そのどっちも成り立つものだと直感は語ります

足りないこともそれは良いのだと思います
そのとき見えなかったことを、見えるようになると過去の自分を責めたくなります
でもそれすら愛なのならそんなことをする必要はないのではないでしょうか
足りなくてもそれは愛です

あなたがいて、わたしがいて

すべてただあるがままです

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