無題

今年に入ってから何度か
目を潰してみようかと考えたことがあります
もちろん怖くてできませんでしたし
思いついただけでやる気なんて1%もありませんでした
でも1%未満くらいはありました

現実から逃げ出したいというただの衝動とも思えるし
また、見えない何かがわかるようになるかもという浅はかな考えとも思えます

人は自己の主観、それが環境に応じて作り出した客観的現実を自己とします
客観性の中に埋もれた主観はまるで眠っているようです
主観は愛という感性に反応し感応する装置です
これが働いたままの状態の人間は嘘がつけません
ありていにわかりやすく言うなら、とても素直な状態です
この状態は、これもわかりやすく言うならば心の壁を無くした状態と言えます
裸と言うとさらにわかりやすくなると思います
この状態で現実社会を生きることは不可能です
猜疑の恐怖に怯えすべての人が客観性という鎧を着込んでいます
それは自分を守り、他者を傷付けるためのものです
これを人はルール、または常識とも呼ぶのかもしれません
心を裸にするということは
小さな攻撃にですら直接に心を傷付けられる状態を指します
心に打たれ強い弱いというものはありません
すべての人は等しく同等に傷付きます
皆それを知っているから鎧を手放せません
ずっと着ているうちに鎧を着ていることを忘れてしまいます
鎧を着込んだ自分を本当の自分だといつのまにか思い込みます
それが常識となり、いつのまにか誰もそれに気付かなくなります
主観は自ら生み出した客観に食われ、自分の姿すら見失います
客観が主導権を握ったかのようになり
人は、傷つけられることに怯え、裏切られることに怯え、
自分が脅かされる存在にならないよう
他者を脅かす存在になろうとします
その姿はその人の心の恐怖そのものです


他人と話すのが怖くて指が振るえ
話したあとは後悔ばかりで
もっとこうできる、もっと上手くやれる、そう思っても何も上手くできず
空回りするばかりで、なにもかも無駄になっていく
上手くいくはずがないという恐怖が自分を縛り
また逆に上手くいくはずという妄想が歯止めを利かなくする
上手くいっているときは良い
客観で出来た自分が上手くいっているときは良い
崩れた瞬間に、そこから何も自分を支えられなくなる
今までどうやって上手くやってきたのかそれすらわからず
当たり前にできていたことができなくなる
心が壊れたわけじゃない
鎧が壊れてうまく機能しなくなっただけ
でも、その役立たずになった鎧すら人は怖くて脱げない
鎧を脱ぐことは決して難しくはないが
それに向けられる、異端者に向けられる視線はひどいものだ
誰しも大多数の側にいたいと思う
なぜなら迫害をされる側になりたくないからだ
日本人はとくにその傾向が強く
それへの恐怖はすさまじい
鎧を脱ぐなど、それが良かろうがどうだろうが関係無く
自分と違うことをする者に対する敵意が向けられる
受け入れられないから
迫害し、下に見ることで安心し、自分の安定を保とうとする
私もその一人だ



自分を信じたい、信じることをまた信じたい
胸が熱を持つような、体から鎖がほどけるような
込み上げてきて涙が止まらないときのような
自分が目指してきたものが間違っていなかったと思えるような
パズルのピースが自然とはまったときのような
心が全力で叫ぶ、そんなときのような

素直な心を隠しきれない人を私は好きです
私が好きになる人は男女関係無く、必ずそういう人です

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