カルマという幸せへの法則

カルマについて

カルマとは仏教用語で梵(カルマン)から出来た言葉です。
日本語で言うなら業(ごう)、悪いことをしたら悪いことが返る、因果応報の法則のことです。
この悪いことをしたら悪いことが返る、良いことをしたら良いことが返るという
因果応報というのは道徳論で誰もがよく聞くことだと思います。
小学校や中学校でも一度は習うかもしれません、巡り巡って自分に返るような絵のやつです。
これはカルマの法則を誰にでもわかりやすく、かつ社会に役立つよう翻訳したものです。
実際のカルマの法則というものはもう少し重いものです。

そもそもカルマ、運命的な因果が存在するのかというのはまったく立証されていません。
この世界を唯物論(物質の法則のみがすべて)で考えるとこの世に運命も選択もありません。
科学反応のみが世界の絶対法則となりますが、ただ唯物論ではその科学の法則がなぜ
この形になったのかを説明できません。
原因が無ければ結果は生まれないのです。
ですが現在の科学ではすべてのはじまりの原因はまったく掴めていません。
そもそも原子表がなぜあのような配列なのかを説明できる科学者すらこの世界には一人もいません。
誰もその法則の謎を解けず、そういうものだからそうなのだ、で止まっているのが現在の科学です。
西洋の科学者はこの根源の法則を「神の御姿」だと表現します。
神の御姿ゆえにそれは絶対であるということです。
これは数千年前に東洋神秘学がすでに知っていた哲学思想より非科学的です。


カルマとは簡単に言うと「その人が選んだ道のつづき」です。
ものすごいオカルトちっくな説明をすると
生まれ変わりの前、前世で行ったことで、そこでの成功失敗という結果を元に
次世ではそれが原因となって、自分の生まれ環境が決定しそこからスタートするということです。
魂の因果、とも言われています。

前に書いた日本神話解説で少し書きましたが
世界は進化するためにすべての法則が成り立っています。
進化することこそがこの世界の存在理由であり、唯一の目的です。
そして進化とは束縛からの解放であり、がんじがらめの糸をほぐす作業です。
生命とは唯一たった一つのものが根源ですが
我々分化した生命それぞれがそこに行き着くために解かなければならない宿題があります。
この宿題、越えなければいけない課題・問題・運命、どう呼んでもいいですが
この避けがたい道、いや進化のために我々の生命が望み選んだ道を「カルマ」と言います。
唯一の目的は進化です、つまりすべての法則はそのためだけに現在の形になりました。
その法則はその唯一の目的のためにすべてを支配しています。
しかしその法則の名前こそが「生命」であり、生命はまた我々でもあります。
我々が選んだ絶対的運命、望んで選んだ解放への苦難の道、これがカルマです。

誰しも苦しい道など好んで選びはしないと言いたいとは思いますが
このカルマは絶対に避けられません。越えるまで何度でも同じことが繰り返されます。
なぜならそれは我々自身が望んだ道だからです。
なぜそんなことを望むか?と言われるかもしれません。
答えはとても単純です。その道の先にカルマを越えるに見合った幸せがあるからです。
これは「苦しみの深さが幸せの大きさに比例する」という法則です。
我々はすでにその道の先が至福への道だということを心で知っています。
だから逃げられないのです、幸せを放棄することはできないのです。
なぜなら進化するということは、より幸せになるということだからです。
生命の大目的は進化=幸せです。
幸せを求める欲求は、進化を求める欲求とイコールだということです

幸せの定義も現代では人それぞれという一言で片付けられています。
ですが幸せの定義ははるか古代からすでにはっきりとしています。
愛、ただそれだけが幸せの定義のものさしです。
そんなことはない、幸せには限度は無い、欲しいものがたくさんある、と言われるかもしれません。
でも本当に欲しいものを見つけたら、他のものなど目に入りません。
それが無いというならば、その人は残念ながらまだそれを見つけていない(見えていない)
ということになります。
なんで見えないの?と思われるかもしれませんが
それもカルマです。見えるようになる、という壁を乗り越えなければ見えないということです。
幸せを知らなければ苦しみもわからないものです。
とても有名な少女マンガに的確が名言があったので紹介します。

「本当の愛を見つけたら、人は自分が今までどれほど孤独だったかに気付く」

この言葉は本当にとてもカルマをよく表現していると思います。
見つけて、見えるようになってはじめてわかるようになるのです。
見える世界、視野が広がったからこそはじめて自分がいた場所が正しく理解できるようになるということです。
経験し、思考し、成長して、準備が整うと、直感としてカルマは降りてきます。
この至福を人は運命と呼んだりしています。
このカルマの法則は人それぞれに最も適した試練しか与えません。
というか自ら選んでいるのですがから当然です。
ただ生まれるときに、つまり物質として縛られるときにそれを物質脳に持ち越せないのです。
正確には脳にはその記憶(意識内の心の意志と心の記憶の波)を焼き付ける機能が無いということです。
(信じがたいことを言うかもしれませんが、いつか脳は記憶を持ち越せる機能が備わるでしょう。)

悪いことをしたら悪いことが返る、という因果応報は
カルマを乗り越えなければその試練はいつまでも自分を苦しめ
またその苦しさから逃げようと過ちを犯すと、その分またカルマが上積みされることを意味します。
行った行為が原因となり、それによって結果が生まれる
自分で選んだ道からは逃げられない
でも生まれるときにそれを忘れてしまうから迷う
しかし経験し、思考し、成長するとカルマが見えるようになる
カルマが見えるようになると、人生の目的が理解できる
人生の目的を達成すると、人は幸せになれる、次の段階に進む、、、、これがカルマの法則です。


法則と人間は一体です。
宗教家や哲学者や科学者は法則は絶対であり、それは神だと言います。
これはある意味正しいですが誤解を招きます。
法則は絶対であり、神です。でもそれは神=人間である、ということです。
つまり法則=人間であり、選択者=人間であり、決定者=人間であり
世界を望んだ者=人間であり、世界の創造者はあなたであるということです。

幸せになりたくない人間はひとりもいません。
ただその幸せは人それぞれです。
それはカルマが人それぞれあることを意味しています。
ホロスコープという星見の占いがありますが
この星の位置(生まれたときの地球に対する星々の位置)というのも
当然法則によって決定されたカルマです。
星すら生命であり、それぞれのカルマを持ちます。
そのカルマの影響により地球での命の誕生が決定されます。
星の配置が人の運命を決めるなんてありえない、と普通思いますが
正確には星の配置が決めているのではなく
そのとき星がその配置にあるときにあるカルマを持った人間が集まって生まれるということです。
出会いすらカルマというのは、乗り越えるべきカルマのためにその相手が必要だからです。
そのお互いのカルマが噛み合ったからこそ同じ時代に生まれ、出会い惹かれ合うということです。
人間の心、魂と言ってもいいですが、それは私たちが思うほど個性を持ちません。
しかし肉体には個性があり、その肉体の個性に魂は合わせます。
なにが得意でなにが好きでなにが嫌いでという個性はこの肉体によるものが大きいです。
この宿る肉体(カルマを達成するため都合の良い器)が生まれる場所と時期を
心はカルマによって選んで生まれてくるということです。
出会って、よくわからないけど惹かれたと感じたとき
それは大抵はカルマに出会った合図です。それが好意でも敵意でもです。
もちろんその前にカルマが見えるまで自分自身が成長していなくては気付けません。
でも、たとえ気付かなくても、うっすら、そしてはっきりと心のどこかにそれは残り続けます。
その人が気付くまで。。。

強い人は素直な人、というのはこのカルマがあるからです。
自分の素直な心の声はカルマがあることをいつも伝えてきます。
その心を無視して、外側のことばかり見ていると人は生きる目的を見失いがちです。
幸せに対して感謝を持たない人は、大抵の場合は幸せではありません。
まわりの粗ばかり目がいく人は、大抵の場合自らを省みません。
素直に心と向き合わない限り、カルマは見えない手でその人の心臓を縛り付けます。
苦しい、苦しい、なのにその苦しみの原因がわからない。見えない。
見たくない、知りたくない、立ち向かいたくない、怖い、、、それがカルマです。
その苦しみの深さは因果であり、その先にある幸せもまた因果です。

巡る因果の螺旋は二重で上昇していきます。
それは世界の法則で、私たちという選択と決定です。

意味を求めてください
理由を求めてください
愛を求めてください
誰にわからなくても
あなたならきっとわかります

あなたは強い人です

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