五つの感覚とあと二つ

五感について

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚

これを五感と言います。
人間が持っている感覚器官であり、人間の認識力、つまりインプット器官です。

多くの人が知っていることだと思いますが
機械というものはインプット器官で得た情報しか認識しません。
防犯カメラで映像を撮るとそこに映像がインプットされ機械はそれを認識します。
しかしカメラは映像(視覚=光)を認識しますが、それだけです。
カメラは音を認識しません。
味を認識しません。
触り心地を認識しません。
臭いを認識しません。
カメラというインプット器官は映像しか認識しません。
それだけがカメラを通して認識した機械のすべてです。
そのカメラしか搭載していない機械は、その映像だけが判断のすべてです。
映像の対象物が動いていなければ「それは静止している」と機械は認識して、それがすべてです。
しかしもしその対象物が音を発していたら、硬そうに見えて実は軟らかかったり
すごい臭いがしたり、すごい味がしたり、そんなことを機械はまったくわかりません。
カメラしかインプット器官が無ければ、それがその認識した者にとってすべてです。
それが世界のすべてです、それが絶対的真実として認識されてそれ以外の可能性は理解できないのです。

ですがその対象物はそれだけではないです。
その本質はあと四つの感覚があってはじめてすべての理解ができます。
五つのインプット器官でその対象物を捉えることにより
よりその対象物の正しい姿、正しい認識、正しい理解ができます。

感覚とは窓です。
それは一つの視点であり、ある対象物を認識する一つの手段、一つの表現です。
人間はその五つの窓、五つの視点でその一つの対象物を認識することで
より正確な認識対象への理解をできるようになっています。
わかりやすく言うなら
ある部屋の中心にリンゴを置きます。
その部屋には五つの小さな窓さまざまな角度で付いています。
ある方向から見ると赤い美味しそうなリンゴが見えます。
そこだけ見れば美味しそうなリンゴでしょう。それが唯一の認識です。
では反対側の窓から覗くと、リンゴの反対側は腐っていたようです。虫も湧いていました。
とても食べられそうにありません。
もし人間に嗅覚と味覚が無ければ、人はリンゴが食べられるかどうかの判断に困るでしょう。
感覚とは物事をより多角的に、より正しい本質を見抜くためのインプット器官です。



生命体が進化して人間が生まれたと言われていますが
それはつまり人間はもとは動物でもとは植物だったということです。
植物の前は微生物、微生物の前は生物ですらない物質でした。
私は生物学や物質学など専門的なことはわからないのですが
はたして動物は何感を持っているのでしょうか?
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、はありますから人間と同じでしょう。
さてでは虫はどうなのでしょうか?
聴覚ってあるんでしょうか?味覚は?嗅覚は?あるんでしょうか?
微生物はどうなのでしょうか?
視覚ってあるのでしょうか?触覚はあるのかな?
物質はどうなのでしょうか?
触覚を認識するとか、あるんでしょうか?

生命体は進化するごとに感覚器官が増えていっています。
現在この地球上でもっとも進化している生命体が人間です。
人間(英語でMAN=考える者)が動物と違う点は考えることです。
動物は五感から入ったインプットに対して物質的本能でのみ反応します。
しかし人間はその五感から入ったインプットの本質を求めます。
考えます。なぜでしょうか?とても不思議です。

人間が考える理由は私にもまだよくわかりません。
ただもし生命が進化するということが絶対的な法則だとするなら
この「考えるということがより進化を促すだろう」ということです。
これはより効率的に、より無駄を失くし、より最善にということです。
今現代では戦争やテロがいまだに行われていますが
そのようなことをするのは野蛮なことだとほぼ常識になっています。
それでも暴力という力が生物である人間の本能的恐怖を喚起するために
暴力的行為というものが影響力を強く持ちます。
しかしそれでも現代の人間は、それが非効率で無駄なことだと認識しています。
暴力的なことをする者は好かれません。
一時的には利益を得るでしょう、しかし長期的に見てすべてを失うと皆理解しています。
動物や植物はこれを意識して行いません。
行き過ぎた繁栄が自然の法則によって淘汰されます。
彼らはその法則を理解していませんが、その法則の中で育まれ、導かれています。
人間は、それを自らの意識で考えろ。という進化の段階にいるのだろうと思います。
法則を理解し、法則を操る。まさに人知そのものだと思います。



五感の話に戻ります。
人間は地球上でもっとも進化した感覚器官を持ちます。
いやそんなことは無い!犬の方嗅覚がすごいぞ、と思われる方もいると思います。
たしかにそのとおりです。
人間がこの五感において動物より勝る理由は
人間は六感というものに目覚めはじめているからです。
この六感とはおそらく生命体の新しい進化段階だと思われています。
感覚というものはそれぞれ独立していますが
その感覚の究極的本質は波、波動と呼ばれるよくわからない振動・共振です。
これが物質同士が干渉することを可能としています。
干渉することを可能にするということは、物質同士が反応することを可能にするということ。
物質同士が引かれ合ったり反発しあったり、すべての物質の干渉をさせるためのなにかです。
私たちが物に触れるのもこの干渉する共振があるからです。
これが無ければ私たちは何も認識できません。

六感とはこの感覚の本質である共振の領域です。
つまり、視覚と聴覚が共振し、聴覚が視覚の替わりになり、また逆にもなるということです。
触覚が視覚にもなり、味覚にもなり、嗅覚にもなり、すべての感覚が共通感覚になるということです。
はぁ?そんなんありえなーい!と言われるかもしれませんが
これをわかりやす例で言うと
人が極限的に集中しているとき、なぜか後ろが見える、などの感覚がこの六感になります。
プロスポーツ選手や伝統芸能の達人など、また日本古来の侍などの達人などが
この超感覚というものの領域に至っていることが多いです。
考えないで、でもわかる。勝手に体が最善に動いたなど、この状態になっていることが多いです。
プロの俳優などで演じている自分ともう一人俯瞰視点で見ている自分がいる、というのもこれに近いです。
これが人間の持つ第六感の目覚め、感覚の共振です。

五つの窓からそれぞれ独立の情報を処理するのではなく
五つの窓を同時に見てそのそれぞれの感覚を100%発揮し同時に扱う。
物事の本質により近づく、より理解する、より正しく認識するということです。
これを認識力の拡大と言います。


すべて質料は共振しています。
これを物理学では量子のゆらぎと言うそうです。
人と人がわかりあえるのもこの共振があるからです。
共振があるから私たちは触れ合えます。
感覚の進化こそ、生命体の進化そのものです。
そしてその感覚のもとは共振であるということです。

人間の認識はみな同じ共振で作られています。
そして次の感覚、第六感のあとの進化の段階
第七感は「他者との感覚の共振」です。
つまり他人の視覚と自分の視覚の共振、他人の触覚と自分の触覚の共振
すべての人との感覚の共振、記憶の共振
人間と人間の心の相互理解という共振です。
この段階に達すると、人間の個人個人という概念が崩れ始めます。
隠し事などできません、嘘などつけません、誤解などありません
他人がなにを考えているか自分のことのようにわかります。
でも自分も自分としてあるのです、でも他人が自分のようにわかるのです。
ただその境目が曖昧になっているのです。
誤解が無く、嘘もつけないなら、もう争う理由が消えます。
他者の気持ちがわかるのです、自分勝手な考えなどできません。
わかるのです、他人の愛がわかるのです。
この新しい視点、新しい窓、より深い本質への理解
この現代では想像すらつかない超越的一体感覚が、人間の次の進化段階だと個人的に思っています。
そしておそらくですが、これは実現するでしょう。
ただそれが何千、何万、何億年後かはわかりませんが。。。


個人的にはそのさらに先がきっとあると思っています。
でもそれは今のわたしたちは出来ないことです。
できないことは仕方ないので、出来ることでなんとかしたいです。
今のわたしたちでも、ほんのわずかならきっと共振できます。
というかできなきゃおかしいですから。
心と心は振るえ伝わる、とは誰が言ったのか、、、とても的確な表現だと思います。

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