宗教について第四回 「神道」

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私たち日本人の国教「神道(しんとう)」について
やはり難しい歴史とかまでは書けませんが
どういったものなのかということを書きたいと思います。

神道は私たちの国「日本の国教」であり、世界で日本にしかない宗教です。
お寺が仏教、教会がキリスト教、そして神社神宮が神道と言えばわかりやすいかと思います。
私自身もそうでしたが、この神道という自分の国の宗教のことをほぼまったく知りませんでした。
なんとなく子供のころ「岩戸伝説」や「オロチ退治」として聞いたことはあっても
それが神道という日本国教のことだと大人になって、自分で調べるまで知りませんでした。
ちなみに私の家のとなりはそこそこ大きい神社です(汗。


神道とは宗教と言っても、実のところは宗教というより信仰です。
キリスト教や仏教、その他世界で有名な宗教の多くが「戒律」という決まりがあることが多いです。
こうしなければいけない、こうしなければ地獄に落ちる、こうしなければ救われない、など。
そして神道の最大の特徴がここにあり、神道には戒律が存在しないということです。
こうしなければいけない、というものが神道にはありません。
戒律が無いということは、つまり教えが無いということです。
名前でもわかりやすいと思いますが、○○教ではなく「神の道」という名で体を表しているということです。


神道は世界で見ると、唯一の神を崇める一神教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)ではなく
神は数多くどこにでもいるという考えの多神教(神道・ヒンドゥー教)というものに属します。
さらに言うと大自然の様々なものを神を崇めることからネイティブアメリカンのや
東南アジアの奥地で信仰されていた「精霊信仰」というものと同じ部類に入ります。
木の神様、山の神様、川の神様、風の神様、海、星、石、・・・と有機物だとうが無機物だろうが
なんでもかんでも全部神様にしてしまうというとんでも宗教ですv。

そう、これこそが神道の、世界でも類を見ない特別性
「八百万神(やおよろずのかみ)」です!w
八百万の神というのは日本にいるたくさんの神様を総じてこう呼びます。
実際に八百万種類いるというのではなく、八の字のようにいくらでも増えてたくさんいるという意味です。
そうです、、、、増えるんです!!!神様を増やしても良しという日本だけのぶっ飛んだシステムなのです。

他所の国の宗教でこれはありえません、増えるって誰が増やすの?と海外の人から聞かれるかと思います。
・・・日本人が増やすのです。
たとえばたまたまどこかに大きな岩があり。それがたまたま珍しい形とかをしてたりします。
なんだかありがたい気がしてみんなでお祈りしてそれを守り神とするなら、はい神様誕生です!
思春期の女の子が恋をして片思いの相手に振り向いてほしくて流行のおまじないをします
例えば消しゴムに願い事を書いて祈るとします。その消しゴムは恋の神になるのです。
大切な人が病気になり自分は何もできません、苦しむ人をただ見ているしかできません。
せめてその人が好きな花でも本でもなんでもいいのです、それを持って行って
「どうか大切な人の苦しみを和らげてくれますように」とそれに祈ったとします
そこに、神は宿るのです。

軽い祈りでも、想い祈りでも、関係無いのです。
祈り願いのあるところに神が生まれる。これが神道です。

もうそれ神様じゃないじゃん!ただの妄想じゃん!
他の宗教をバカにしてんのか?みんな厳しい戒律を守って
ときには神のためにに争って殺しあうほど真剣に信仰してるってのに
ただ思えば神様が自分らの都合よく生まれるだと?ふざけんなクソ日本人が!

と、もしかしたら海外の人は思うかもしれません。
日本人は伊勢参りや神社にお参りなどしますが、真剣に信仰してるか
と言われればおそらくみなそれほど気負ってはいないと思います。
出雲大社など「恋が叶うからv」と大勢の女性が通いつめます。
日本の神社の多くが「豊作」と「縁結び」をご利益としているのは
それがずっと昔から人気がありお参りする人が多い、つまり需要があるからです。

これも神道の特徴で「生活に直結している」のです。
生活の中に信仰があり、生活の中に神がいる。それが神道です。
今の日本で本気で神なんてものを信じている人はいないでしょう。
でも、困ったとき、苦しいとき、やっぱり神頼みしてしまうのが日本人というものです。
そして
それを喜んで受け入れる神々こそ、八百万の神さまたちなのです。

普段は見向きもされず、せいぜいお正月にお参りに来るだけ、
普段は神社なんて子供の遊び場、夜には中高生が逢引してたりします。
真剣に崇めてくれる日本人なんてほとんどいません。
でも、困ったとき、苦しいとき、「神様どうか助けてください」と真剣にお祈りに来ます。
そんなときだけ来るのです。そんなときだけ。
でも、神様はいつもそこにいてそれを聞いているのです。
そして八百万の神さまたちはどこにでもいます。なんせ有機物無機物関係なくみな神様ですから。
あなたを見ているのです、ただ見守っていてくれるのです。
あなたの心が折れないように、あなたがあなたでいられるように。
「こうしなさい」「こうでなければダメ」なんて日本の神様は言いません。
その願いが、祈りが、叶うかどうかはその人次第です。
でも決して見捨てたりなどしません。ずっとその人を見ています。
咲くにしろ、咲かぬにしろ、ただ見守っている。
慈しみと愛しさを持って日本人を見守る、これが日本の神様です。


世界には宗教の聖遺物など歴史的遺産があります。
それを失うというのはその宗教にとっては許されないことでしょう。
日本にもそれはあり、一番有名なのは「三種の神器」と言われる、剣、玉、鏡でしょう。
これらは実際に日本に存在しており当然国宝です。
他宗教の遺物など消失や破壊などされようものならとんでもない問題になるでしょう。
それを取り戻すために戦争だっておきかねません。
もちろん日本の神器も大切ですが、おそらく日本ではたとえ破壊されても何もしないでしょう。
日本の場合、それを「作り直す」からです。
日本にある神器と呼ばれるあらゆるものは作り直すことができます。
なぜならその物自体はあくまで物であり、神器の魂は別だからです。
作り直しそれを神器として御祭りすればそれにまた魂が宿ります。
無くなったらおしまいではなく、魂ですから永遠にあり続けるのです。
そこに祈りさえあれば。

ここまで来ると少しわかってくることがあります。
日本の神道は「ルールや物にこだわらない」ということです。
とてもご都合主義であり、テキトーで、日本人の好き勝手できるのです。
ただそこに、信仰、祈りというものがあれば、それでいいのです。
「たすけて神様!」とそれだけでもいいのです、「神様ありがとう!」でも
「神様のバカー!」でも、どんなものも受け入れてしまう。
笑うあなたの横に、がんばるあなたの後ろに、悲しむあなたの
苦しむあなたの、涙を流すあなたを抱きしめるようにそこにいる。
道に迷うとき、あなたを袖をそっと引っ張る。そんな神さまたち。
自分勝手な人間のそばにいて、生活の中にいて、心の中、願いの中
祈りそのものとしてそこにいる、、、、それが日本の神です。
そしてその神は、祈りは、あなた自身です。


日本神話の最高神、太陽の神アマテラス大御神。
すべての神々の頂点にあり、天の世界・高天原の主。
すべての神も人も動植物も、平等にアマテラスの庇護のもとにあります。
アマテラスの前ではすべてが平等であり上下はありません。
そしてアマテラスの光はすべてに平等に天から注がれます。
分け隔てなどありません、神道を信仰してないものには与えないなど無いのです。
すべてに平等に降り注がれる、光であり愛そのものです。

アマテラスの存在に関してはいろいろ研究されていて
なぜ太陽神であるか、元は何なのか、などいろいろありますが
そのことは今回では書きません。長くなるので。
ここで書くことはアマテラスのご神体のことです。
日本神話の中でアマテラスが後の天皇の始祖になるニニギノミコトに
「これを私だと思って持って行きなさい」と言って渡したものが
三種の神器の一つである「鏡」です。
これがアマテラス大御神のご神体、分身のようなものです。
鏡というのは古代ではとても貴重なもので
儀式に使われたりなどしていたので、きっと神話にも登場したのだと思いますが
私はこの「写し身を見る」ことができる鏡を自分だと思いなさい、と言って渡した
アマテラス大御神という神にとても不思議な気持ちになりました。

姿を写す鏡、それがアマテラスという神です。
そこに写るものはその鏡を持った人であり、それをそのまま写すのです。
鏡というものは「望んだ自分」と「偽り無い自分」とを同時に写します。
美しさも醜さもただそのまま写します、プリクラみたいに盛るなんてできません。
写真や動画とも違いリアルタイムのそのままの自分が写されます。
そこにいるのはあなたです。
鏡に写るその人はあなたで、そこに写ったあなたはまたあなたを見返しています。
あなたを見ています、偽り無いあなたとあなたが望んだあなたを。
嬉しいときは笑顔が、悲しいときは泣き顔が、怒ったときは怒り顔が
あなた自身を見つめ返します。
日々変わっていくあなたを、ただ見つめている神。
もしかしたらそれがアマテラス大御神なのではないかと私は思っています。
鏡が無かったとしても、目が見えない人だったとしても
心の中でもし自分自身と向き合うなら
そこにあなたというアマテラス様がいて、真っ直ぐな目であなたを見ているでしょう。
自分なんて大っ嫌い!こんな価値の無い人間なんて死ねばいい!
そう叫ぶ人の心の中には必ず、自分が好き!生きたい!私は無価値なんかじゃない!そして
自分を信じたいと言っているもう一人の自分がいます。
その正体は、素直なあなた自身であり、あなたの愛であり、そこから生まれた希望です。
それはか細く小さくとも消せない光です。
絶望とは光を失うことではなく、光を見ないフリをしたときに訪れるものです。
そこにあります、自分自身という光は、決してあなたから目を離したりしません、
ずっとあなたを見ています、いつでもどこでも、あなたをただ見守っています。
あなたがもしその光に「お願い助けて」と祈るなら、きっとあなたのそばにいてくれます。
必ずいます、そこにいます。
愛と希望という名の神、そしてあなたを支える世界のすべて八百万の神がそこにいるのです。

神道に教えはありません、戒律もありません。
こうでなければならないというものもありません。

神道とは、心の中に神との社(対話する場所)を築き、そこで祈ることです。

あなたを縛ったりしない、あなたのどんな選択も受け止め
あなたを見守り、あなたを愛し、あなたを信じる。あなた自身が作る信仰。
それが私の考える神道です。



神道は教えが無いので神道関連の本を読んでもあまり「神道とはこうである」みたいなものはありません。
よく書かれるのはやはり自然崇拝であったり、日本人らしい感謝する信仰であったりです。
神道関連の本の多くは歴史を読み解いたり、そこにある古代日本の精神性などを研究したりなどで
私のように神道を現代の人間の心と繋げているものはあまり見ません。
多分そんな必要が無いほど神道というものがすでに日本人の心の中に浸透しているということなのだと思います。
けっこう前に神社にお参りに来たお母さんと子供がいて、そのお母さんが子供に
「ホラ、神様いるから!ナンマイダーするのよ!」と言っていたことがあり
いやもう心の中で「奥さん、それ仏教だから!南無阿弥陀仏じゃないから!」と突っ込んだんですが
きっと神様はそれすら微笑んで見ているだろうなぁとそのとき思いました、

どんな宗教よりも、きっと神道は一番真理に近いのじゃないかと個人的に思っています。
そのままできっと良いのです、日々の中にそれがあるのかもしれないと思います。
心のままに、素直に、聖も邪も、正も負も、ただそのままに。
アマテラスさまも他の神様たちも、きっとあなたが好きなんです。
なんだかんだとアマテラスさまは今日も明日もあなたが好きです。

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s
2014年02月27日 23:54
霊界物語
やざき
2014年03月06日 09:30
霊界という言葉は一度も使っていないのに、これを読んで霊界と書いたということは、多分私よりもこういう話を好きな方なのかもしれませんね。 私は霊感などは無くて正直そういう精神世界のことはまったく信じないしバカげたことだと思ってきましたが、今なら少しだけわかる気がしています。
観測できればそれは存在すると認められますが、まだまだ人類の科学では観測できないものが多いです。でもそのまだ観測されていない物はそこにいていつでも私たちの周りにあります。
少なくとも「あるかもしれないね」くらいで思っていた方がいいと個人的に思っています。
コンタクトという映画で科学者の女性と宗教家の男性との会話で、神(大いなる何か)を絶対否定する彼女に対して彼が
「私は証明されていないものは信じないわ」
「そう。。。君はお父さんは愛しているかい?」
「・・・えぇ、もちろんよ!」
「それを証明できるかい?」
「・・・・・」
というシーンがあって、とても好きなシーンでした。
私たちの現実は三次元ですが今の物理学では世界は11次元あるそうです。そして下位次元し縛られている私たちはは高位次元を認識できませんし触れることもできません。
これを日本では霊界・天界と呼ぶのだと最近知りました。
でもそういうものの本質は知識ではなく心(智慧+愛+実行動)であるというのは、頭で考えるだけじゃダメだよと言われているような気がします。

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